社内報_2020-10
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逆風にさらされながら目指すは首都圏に根差した、息の長い会社から夕方6時まで働き詰め︒それどころか︑家庭教師など︑来る気配もありませんでした︒泣きたくなりましたが︑頼れる人はいません︒職場ではボスしかコミュニケーションが取れず︑息が詰まりそうでした︒唯一の楽しみは︑少ない給料を貯めて︑月に一回足を運ぶ日本料理店での食事︒逃げ出したくなるような毎日に︑心はすり減っていくばかり︒こうしたアメリカでの体験が自分を強くし︑﹁苦しくても︑頑張れば何とかなる︒この先失敗するようなことがあっても︑きっと大丈夫だ﹂という気持ちを大きくさせました︒社会人としての人生には︑挫けそうになった日もあります︒ドル箱事業であっ不尽な理由でカットされたこと︒3PLに挑戦した際︑特に難しいたA社の業務を理と言われる菓子問屋に手を出し︑軌道に乗らず撤退したこと︙︙︒中でも大変だったのは︑某上場企業の社長と︑新しい物流会社を立ち上げた時の出来事です︒相互出資して創設した︑新会社の社長に就任しました︒しかし︑ふたを開けてみれば︑社長とは名ばかりの状況︒釈然としない中︑追い打ちをかけるように経営も傾き始めました︒何とか立て直さねばと︑オフィスに泊まり込んで働きましたが︑倒産という︑最悪の結末を迎えてしまいます︒﹁﹃上場会社がついている﹄という安心感があったのに︙︙経営が危うくなったら逃げられ︑私の考えが甘かったと実感しました︒この後1年間︑信濃運輸社長の座から退きましたが︑この時間が私の考え方を大きく変えてくれたのです︒規模は関係ない︒とにかく利益を出せる会社にしようと誓いました﹂︒幾度となくピンチを切り抜け︑実績を作ってきました︒しかし︑これは自分一人の力で達成したものではありません︒そばで支えてくれる社員がいたからこそ︑ここまで歩んでこられたのです︒真面目で素直な社員は︑信濃運輸の財産です!﹁弊社は︑オーナー企業です︒オーナー企業にありがちなのが︑後継者不足による存続の危機︒こういった事態は︑絶対に回避したいと考えています︒私が会長になったのも︑後継者を育てるべく︑一歩引いた立場で会社を見るためです︒血縁ではなく︑頑張った人が幹部になれる︒そんな組織でありたいと︑強く思うのです﹂︒企業情報設 立 年:昭和40年2月年  商:72億円

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